有楽町 イトシア YURAKUCHO ITOCiA

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有楽町歴史絵巻

第3話

「戦後 復興に沸く有楽町」

盛り場としての有楽町 –そごうデパートの出店–

開店後間もない頃の「有楽町そごう」 (千代田区立千代田区図書館提供)

開店後間もない頃の「有楽町そごう」
(千代田区立千代田区図書館提供)

1957年(昭和32年)5月、関西を本拠地とするそごうデパートが、東京店を有楽町駅前に初出店。当時、テレビ番組「有楽町で逢いましょう」や同名の映画・歌謡曲が流行り、有楽町はデパートの出店の他、テレビ、歌謡曲、映画というメディアの影響により、戦後を象徴する盛り場として知られるようになりました。同時に駅周辺は、高度成長の大きな影響を受けました。
駅東口の飲食店街「すしや横丁」は、1962年(昭和37年)の有楽町駅前整備の都市計画によって撤去。1963年(昭和38年)には、東京都と三菱地所の共同出資による株式会社東京交通会館が創立され、1965年(昭和40年)に回転展望レストランを備えた交通会館ビルが完成。
一方、新聞街に本社を構えていた新聞各社はオフィスが手狭になった上、交通混雑により新聞配送に支障をきたし始め、徐々に有楽町の外へと移転しました。

オフィス街の戦後
–高度成長期を支えるサラリーマンとビジネスガール–

丸の内方面へ通勤するサラリーマン(昭和4年頃) (新編千代田区史 通史編」より出典)

丸の内方面へ通勤するサラリーマン
(昭和4年頃)
(「新編千代田区史 通史編」より出典)

三菱をはじめとする戦前の財閥企業が集中する千代田区は、戦災復興の最も重要な舞台でした。そして、日本経済の復興そして高度成長とともに大企業はさらに急成長を遂げ、千代田区で昼間働く人口も急激に増加。戦前、オフィスで働く女性は極めて少数でしたが、戦後、とりわけ「事務労働者」の「女性化」が進み、彼女たちの呼び方も「サラリーガール」から「ビジネスガール(BG)」「オフィスガール(OL)」へと変遷。昭和40年代には、丸の内で働く社員の男女比は二対一近くになり、女性は高度成長に欠かせない労働力となりました。この結果、丸の内付近と合わせて、有楽町界隈でも多くの人々が行き来するように なりました。

映画街の全盛時代 –洋画ロードショーのメッカ–

日劇「サヨナラ日劇フェスティバル」(昭和56年) (「新編千代田区史 通史編」より出典)

日劇「サヨナラ日劇フェスティバル」(昭和56年)
(「新編千代田区史 通史編」より出典)

対米戦争中の間、日比谷興行街は国粋主義的な演目に占められていましたたが、戦争終了後、対米友好感情の醸成と日本国民への啓蒙宣伝活動の一環として、アメリカ文化の象徴する映画が日本に流入。日比谷映画や有楽座、スカラ座など主要な映画会社の看板館が集中した日比谷・有楽町の映画街は、洋画ロードショーのメッカとして、多くの観客を集めました。
こうして、有楽町映画街は黄金時代を迎え、日活、東宝、新東宝などのなどの日本の映画産業業界の大手6社などの本社が有楽町に集中。昭和30年代前半、これら6社は、毎週2本立ての新作映画によって興行を続ける体制をり、激しい映画の大量生産競争を繰り広げていました。

劇場の世代交代
–日比谷・有楽町地区におけるライフスタイルの変容、映画街の全盛時代–

東京宝塚劇場「ベルサイユのばら」の舞台 (昭和49年) (「新編千代田区史 通史編」より出典)

東京宝塚劇場「ベルサイユのばら」の舞台
(昭和49年)
(「新編千代田区史 通史編」より出典)

帝国劇場、日本劇場、日比谷興行街などが集まる「アミューズメントセンター」であった日比谷・有楽町地区では、1955年(昭和30年)、新しい劇場の開場が相次ぎます。
1957年(昭和32年)4月、日比谷・東宝会館ビルの4階に芸術座が開場し、1963年(昭和38年)10月には日本生命日比谷ビル内に日生劇場が完成。続いて、1966年(昭和41年)新しい帝国劇場が新築の国際ビル内に開場して、同年隼町にあった米軍キャンプ・パレスハイの跡地に初の国立劇場が完成し、歌舞伎をはじめとする古典芸術の新しい中心となりました。 1963年(昭和38年)、東京宝塚劇場で、本場ブロードウェイ・ミュージカルの初の日本語版の劇場化となる「マイ・フェア・レディ」が上演されたのを皮切りに、都会生活を描くことが多かったアメリカのミュージカルは、戦後スケールの大きな音楽劇へと発展し、日比谷・有楽町の興行街はミュージカルのメッカともなりました。
しかし、昭和初期に建設された劇場の老朽化が進むにつれ、日比谷・有楽町地区は再開発地区が進み、1981年(昭和56年)に日劇が閉幕し、跡地には有楽町マリオンが建設されました。続いて、日比谷映画劇場と有楽座が演劇劇場としての幕を閉じ、跡地には映画館を含む複合ビル、日比谷シャンテが建設されました。

劇場街としての日比谷・有楽町地区の変貌
1908年(明治41年)秋
「有楽座」開場(のちに邦楽座と改称)

⇒日本で最初の洋風劇場。
建物はドイツ風の洋館木造建築

有楽座

有楽座

1911年(明治44年)
「帝国劇場」開場

有楽座

帝国劇場(左)と警視庁(右)の遠望

⇒ルネサンス建築様式の建物。

新聞には「白い建物が帝国劇場、赤い建物が警視庁」と当時隣接していた警視庁と合わせて、報じられた。

1920年(昭和9年)
1月「東京宝塚劇場」開場
2月「日比谷映画劇場」開場
9月「東宝小劇場」開場
1923年(大正12年)
関東大震災

⇒「有楽座」焼失

1933年(昭和8年)
「日劇」開場

「邦楽座」、「日劇」、「宝塚劇場」は“アミューズメントセンター”と呼ばれる。

1945年(昭和20年)
東京大空襲により
「日劇」焼失
第二次世界大戦終了
1981年(昭和56年)
「日劇」、再開発により解体

戦前の日劇前(昭和10年)

戦前の日劇前(昭和10年)

サヨナラ日劇フェスティバル」が数日間開催される。

1984年(昭和59年)
朝日新聞本社及び「日劇」跡地に、有楽町センタービルが建てられ、「有楽町マリオン」として開場。
2007年(平成19年)10月
有楽町イトシア オープン

⇒映画館「シネカノン有楽町2丁目」開場

次回は、「結び~そして新たな歴史絵巻物語を彩る有楽町へ」について

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